第一章 外交の夜
明治八年。
東京・築地。
外国公使館では、日本政府の要人や外国外交官を招いた晩餐会が開かれていた。







文明開化を象徴する夜。
ガス灯が輝き、
洋楽隊が演奏し、
ワインが注がれる。
福沢諭吉も招待されていた。
一方、楠本イネは外国人婦人の診察を終え、公使館へ招かれていた。
福沢は笑顔で迎える。
「楠本先生。」
「今日は事件ではなく、食事だけで終わればいいですね。」
イネは静かに笑う。
「それが一番です。」
その時。
英国人外交官ウィリアム・グラント卿がグラスを受け取り、小さく苦笑した。
「少し……暑い部屋ですね。」
額の汗を拭う。
隣の外交官も首をかしげる。
「私も少し頭が重い。」
しかし誰も気に留めなかった。
暖炉では石炭が勢いよく燃え、
寒さを避けるため窓はすべて閉め切られている。
グラント卿はワインを一口飲み、
立ち上がってグラスを掲げた。
「日本の未来に乾杯。」
その瞬間。
視界が揺れた。
手からグラスが滑り落ちる。
ガシャン!
男は胸を押さえ、
そのまま床へ倒れた。
会場は騒然となる。
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第二章 青い唇
医師たちが駆け寄る。
しかし……
「亡くなっています。」
誰も傷を見つけられない。
毒物の臭いもない。
イネは静かに膝をつく。
唇を見る。
爪を見る。
耳を見る。
福沢が尋ねる。
「何かわかりますか。」
イネは静かに答えた。
「唇が……青い。」
医師は言う。
「寒さでしょう。」
イネは首を横に振る。
「違います。」
「身体が酸素を失っています。」
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第三章 暖炉の秘密
事件現場。
イネは部屋を歩き回る。
窓はすべて閉まっている。
暖炉では石炭が燃えている。
イネは立ち止まった。
「煙が……。」
煙突を見上げる。
「流れていません。」
福沢も見上げる。
「詰まっている?」
イネは頷く。
「煙が部屋へ戻っています。」
暖炉の近くへ行くと、
かすかに焦げたような臭いが漂っていた。
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第四章 医学だけが知る死
イネは集まった人々へ説明する。
「人は酸素で生きています。」
「しかし煙の中には、一酸化炭素という気体があります。」
「この気体は酸素より先に血液へ入り込みます。」
「そのため、人は最初は頭痛やめまいを感じる程度です。」
「歩くことも、会話をすることも、食事をすることもできます。」
「しかし吸い続けると、身体は急速に酸素不足となり……。」
「突然、意識を失い、命を落とすことがあります。」
誰も言葉を失った。
福沢だけが静かに呟く。
「だから乾杯までは普通に振る舞えたのか……。」
イネは静かに頷いた。
「そして唇が青かった……。」
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第五章 真犯人
暖炉の管理人が震え始める。
実は煙突は数日前から壊れていた。
修理費を受け取りながら、え
修理をしていなかった。
事故が起きると責任を問われる。
慌てた管理人は、
グラスの近くへ毒薬の瓶を置き、
毒殺事件に見せかけようとしたのだった。
しかし、
イネは最初から見抜いていた。
「毒ではありません。」
「グラント卿は宴が始まってから、一酸化炭素を少しずつ吸い続けていました。」
「頭痛やめまいは、その前兆だったのです。」
「乾杯のため立ち上がった瞬間、酸素不足が限界に達し、倒れました。」
「人体が真実を語っていました。」
管理人は力なくうなだれた。
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第六章 未来へ
事件は解決した。
夜の築地。
ガス灯の下を二人は歩く。
福沢は静かに言う。
「子どもたちには。」
「こんな事故のない日本を残したい。」
イネも頷く。
「だから医学は進歩しなければなりません。」
「救える命は、昔より確実に増えています。」
福沢は笑った。
「教育が人を育てる。」
「医学が命を守る。」
「どちらも未来を作る仕事ですね。」
イネも微笑む。
「そして未来は、子どもたちが受け継ぎます。」
その時、
二人の前を数人の子どもたちが笑いながら駆け抜けていく。
福沢は目を細めた。
「ほら。」
「日本の未来が走っています。」
イネは優しく微笑んだ。
「だから私は、命を守り続けます。」
ガス灯に照らされた築地の夜道を、
二人は静かに歩いていった。

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