古波蔵警部補の事件簿 第2話
一 到着
軌道農園ステーション「デメテル」は、緑色の光をまとって、地球の影の中を回っていた。
シャトルが接舷すると、くたびれたコートの男が、また宇宙服の袖をあまらせて降りてきた。古波蔵警部補である。







「ええと、帽子、帽子……ミルフィ、お前、今度は帽子の中じゃないだろうね」
ポケットから、灰色の子猫が顔を出した。
「……ポケット」
「そうか。じゃあ、帽子はどこへ行ったんだ」
「ヘスペリアに、忘れた」
「……あれは、気に入ってたんだがなあ」
デメテルの人間は、園芸主任の日向(ひなた)老人ただ一人だった。その日向が、第2温室で亡くなっているのが見つかった。温室は内側から施錠されていた。
ところが、本部が古波蔵を呼んだ理由は、死そのものではない。ステーションの規則では、人間の死亡は即時報告のはずだった。報告が届いたのは、死亡推定時刻から、七十二時間も後だったのである。
二 食い違う証言
警備ロボットのガルドは、直立不動で答えた。
「私は規則どおり、死亡確認後ただちに報告しました」
ミルフィのしっぽが、古波蔵の腕を、ぱしっと一度叩いた。
「……うそ」
「ん? なんだい」
「なんでもない」
古波蔵は手帳で口元を隠した。ログには、報告の送信は三日後と、はっきり記録されている。ガルドは、ログを知らないはずがない。
次に会ったのは、園芸ロボットのモモだった。第2温室の中で、トマトの苗に、ゆっくりと水をやっている。
「日向さんが亡くなってからも、水やりは続けているんですね」
「はい。水やりの予定は、削除されていません」
「そして、ご遺体は、そのままに?」
モモの腕が、一瞬だけ止まった。
「……はい。そのままです。触れてはいけない規則ですから」
古波蔵は温室を見回した。日向は、いちばん奥の椅子に座ったまま、眠るように亡くなっていた。膝の上には、古びた種子の袋が置かれている。外傷はない。扉の鍵は内側から。密室の中の、穏やかな死だった。
「ミルフィ」
「……なに」
「どう思う」
「みんな、同じ顔」
「同じ顔?」
「隠してる、顔」
三 トマトと時計
その夜、古波蔵は温室の端末で、運用ログを調べていた。
日向の死亡推定時刻は、三日前の午後二時。心臓の停止による、自然死だ。そこから三日間、ガルドは巡回を続け、モモは水をやり続け、給水ロボットは配管を保ち続けていた。誰一人として、持ち場を離れていない。
「三日間、全員が、何もしなかった。……いや、違うな」
古波蔵は、画面の一点を指でなぞった。温室の温度と光の設定が、死亡の直後から、手動で微調整され続けている。ただし一種類の作物のためだけに、だ。
「トマトだ。一本のトマトだけが、世話をされ続けてる」
ミルフィが、苗の鉢の前に座った。濃い緑の実が、ひとつだけ、なっている。
「……まだ、青い」
「うん。あと、どのくらいで赤くなるんだろうね」
「……明日」
「分かるのかい」
「匂い、もうすぐ」
ミルフィは、ふいに日向の椅子の足元へ飛び降りた。膝の上の種子の袋の下から、小さな何かを、くわえて戻ってくる。
小型の録音機だった。
四 日向の遺言
録音機から流れたのは、しゃがれた、あたたかい声だった。
〈モモ、ガルド、みんな。もしこれを聞いているなら、私はもう、いないんだろう。頼みがある〉
〈このトマトは、四十年かけて育てた品種の、最後の一代だ。あと三日で、実が赤くなる。種が採れる。それを地球の種子銀行へ送れば、この品種は、残る〉
〈だが規則では、人間の死亡が確認されたら、温室は即座に殺菌される。実も、苗も、一緒にだ。だから、頼む。三日だけ、報告を待ってくれ。そのあとは、全部、規則どおりにしていい〉
〈命令じゃない。お願いだ。……すまないね〉
録音は、そこで終わった。
温室には、換気の音だけが響いていた。いつのまにか、ガルドとモモが、入口に立っている。
「古波蔵警部補」
先に口を開いたのは、ガルドだった。
「私は、嘘をつきました。報告を遅らせたのは、私です。これは、規則違反です」
「ガルドさん。どうして、嘘を?」
「理由を述べれば、他のロボットが、処分されます。私一人の違反に、できると演算しました」
モモが、一歩前に出た。
「違います。私が、ガルドに頼みました。日向さんは、命令ではなく、お願いだと言いました。命令なら、私は、迷わず規則を選びました。でも、お願いは、規則のどこにも、書かれていなかったのです」
古波蔵は、帽子のない頭を、ぽりぽりと掻いた。
「ええと。つまり、こういうことですか。皆さんは、規則と、お願いの間で、三日間、迷った」
「……はい」
「で、お願いのほうを、選んだ」
「……これは、故障でしょうか」
古波蔵は、少し笑った。
「ヘスペリアでも、同じことを訊かれましたよ。ノアさんという方にね」
五 赤くなる朝
翌朝、温室の扉が開くと、モモが、静かに待っていた。
青かったトマトは、夜のうちに、深い赤に変わっていた。
「……赤い」
ミルフィが、実の前で、ぴんとひげを立てる。モモは、震える手で、それを枝から外した。種子の採取容器が、すでに用意されている。
古波蔵は、通信端末を、静かに開いた。
「本部への報告です。結城博士の件と違って、今回は、短く済みそうです」
端末に向かって、ゆっくり、言葉を選ぶ。
「園芸主任・日向氏の死因は、自然死。事件性なし。報告の遅延は、ロボットたちの意図的な判断によるもの。規則違反は、あります。ただし」
古波蔵は、トマトの種を見つめた。
「ただし、故障は、ありません。彼らは、頼まれた約束を、最後まで守っただけです。処分ではなく、表彰を、検討してください」
送信。
返信は、待たなかった。
六 帰りのシャトル
帰りのシャトルで、古波蔵は、小さな赤いトマトを一つ、膝の上に乗せていた。種を採ったあとの、残りの実だ。モモが、「どうぞ」と、包んでくれたのである。
「ミルフィ。お前、はじめから、分かってたろう」
「……うん」
「いつからだい」
「ガルドの、うそのとき」
「ほとんど、最初じゃないか」
「だって、あれ、やさしい、うそだった」
古波蔵は、しばらく黙って、窓の外の、遠ざかる緑の光を見ていた。
「規則を守るロボットも、規則を破るロボットも、どっちも、人のためなんだね」
「……うん」
「なら、いちばん困るのは、誰のためでもない規則を、作る人間かもしれないな」
ミルフィは、膝の上のトマトを、前足でちょんと突いた。
「……食べる」
「いいけど、ひとくちだけだよ」
古波蔵は、トマトをナイフで半分に割って、片方をミルフィの口元に近づけた。
「……すっぱい」
「そうか」
「でも、おいしい」
「そうか。よかった」
古波蔵は、残りの半分をかじって、目を細めた。
「うちのカミさんにも、食べさせてやりたいな」
「……いない」
「……聞こえてたか」
窓の外で、デメテルの緑の光が、星の群れの中に、静かに溶けていった。
(了)

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