江戸切絵図の変遷

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――一枚の地図から見えてくる江戸の姿

江戸時代の地図を見ていると、現在の東京とはまったく違う景色が浮かび上がってくる。

皇居は「江戸城」。

東京駅も、銀座も、渋谷も、まだ現在の姿にはない。

その一方で、

「日本橋」
「浅草」
「上野」
「芝」
「品川」
「神田」

といった、今も残る地名を見つけることができる。

そんな江戸の町を知るうえで、非常に興味深い史料がある。

それが――

「江戸切絵図」

である。

江戸切絵図は、江戸の町を地域ごとに分割して描いた地図だ。

特に幕末に刊行された尾張屋版は、色彩豊かで、大名屋敷や寺社、町名などが細かく記されている。

しかし、江戸切絵図は最初から現在知られている形だったわけではない。

そこには、

「江戸を一枚で見る地図」から「必要な場所を持ち歩く地図」へ

という、大きな変化があった。

Amazon.co.jp: 江戸切絵図 尾張屋清七板: 嘉永・慶応 江戸・東京今昔切絵図散歩 (古地図ライブラリー 1) : 本
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1.巨大な江戸を一枚に描く

江戸時代、江戸は世界有数の巨大都市へと成長していった。

人口が増え、武家屋敷、町人地、寺社、街道などが広がっていく。

当然、江戸全体を一枚の紙に描こうとすると、どうしても地図は巨大になる。

しかも、単に町の位置だけではなく、

・大名屋敷
・寺社
・町名
・橋
・街道
・堀
・門
・名所

などまで詳しく描こうとすれば、さらに大きな地図になってしまう。

そこで生まれてきたのが、

地域を分割して描くという発想

だった。

これが、後の「江戸切絵図」につながっていく。


2.江戸切絵図の登場

江戸切絵図の初期の代表例として知られるのが、

宝暦5年(1755)刊の吉文字屋版

である。

その後、さまざまな版元によって江戸の切絵図が刊行されるようになった。

つまり「江戸切絵図」というものは、ある一人の人物が突然完成させたものではない。

江戸という巨大都市を、

「地域ごとに分けて、詳しく見る」

という地図のスタイルが、時代とともに発展していったのである。

(中川書房)


3.なぜ「切絵図」なのか?

「切絵図」という名前には、その特徴がよく表れている。

江戸全体を一枚に描くのではなく、

「番町」
「麹町」
「芝」
「麻布」
「本郷」
「浅草」
「本所」
「深川」

など、地域を分けて描く。

つまり、

江戸を“切り分けた”地図

なのである。

これは非常に合理的だった。

たとえば、江戸城周辺の用事がある人なら、その地域の切絵図だけを持っていけばいい。

浅草へ行くなら浅草周辺。

芝や品川へ向かうなら、その地域の絵図を見る。

大きな江戸全図を持ち歩く必要がない。

しかも、地域を狭くすることで、より多くの情報を書き込むことができた。


4.そして幕末――尾張屋版が登場する

江戸切絵図の歴史を語るうえで、特に重要なのが、

尾張屋清七

である。

尾張屋は江戸の地本問屋で、幕末に色彩豊かな切絵図を刊行した。

国立国会図書館には、尾張屋清七による『江戸切絵図』が残されている。

その刊行年は、

嘉永2年(1849)から文久2年(1862)

に及ぶ。

資料は28舗で構成され、嘉永年間の切絵図を中心に、安政年間、文久年間の図も含まれている。

(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))

そして尾張屋版は、その後も改訂・増補されながら刊行が続き、

明治3年(1870)頃まで

その流れが続いたとされている。

(東京23区公式サイト)

ここが非常に重要なポイントだ。

つまり尾張屋の切絵図を追っていくと、

江戸から東京へ変わっていく過程

まで見ることができるのである。


5.尾張屋版の最大の特徴――「色」

尾張屋版の魅力の一つが、

美しい彩色

である。

現在の地図のように、すべてを均一な線と記号だけで表現するのではない。

大名屋敷などを色分けし、町の様子を視覚的に把握しやすくしている。

さらに、大名家の屋敷には、

大名家の家紋

が記されているものもある。

そのため、地図を眺めているだけでも、

「ここには、あの大名の屋敷があったのか」

ということが分かる。

尾張屋版については、華やかな彩色だけでなく、ランドマークの描写や大名紋なども特徴とされている。

(コトバンク)


6.「地図」なのに、町の暮らしが見える

江戸切絵図を面白くしているのは、

単なる道路地図ではないことだ。

そこには、

・大名屋敷
・旗本屋敷
・寺社
・町屋
・橋
・河川
・地名
・名所

などが細かく記されている。

つまり江戸切絵図は、

江戸の都市構造をそのまま記録した史料

でもある。

例えば慶應義塾大学が所蔵する安政2年(1855)の「芝三田二本榎高輪辺絵図」を見ると、現在の三田キャンパス付近に当時の大名屋敷があったことが分かる。

また、品川宿や泉岳寺など、現在にもつながる場所も確認できる。

(慶應義塾大学附属図書館)

現在の東京の街を歩きながら江戸切絵図を見ると、

「この道路は昔からあったのか?」

「この場所には誰の屋敷があったのか?」

という疑問が生まれてくる。

そこが、江戸切絵図の面白さなのである。


7.江戸切絵図は「持ち歩く地図」だった

江戸切絵図は、実用性も高かった。

尾張屋版などは折りたたむと、

およそ18×9センチほど

の携帯しやすいサイズになる。

広げると、地域によって40センチ前後の大きさになるものもあった。

つまり、

「必要な地域だけを持ち歩く」

ことができたのである。

(実践女子大学)

現代でいえば、

スマートフォンの地図アプリで目的地周辺だけを拡大して見る感覚に少し似ている。

もちろん、江戸の人々がスマートフォンを持っていたわけではない。

しかし、

「必要な場所を、必要なだけ詳しく見る」

という考え方は、現代の地図にも通じるものがある。


8.同じ場所を比べると、江戸の変化が見えてくる

江戸切絵図の最大の魅力は、

一枚だけを見ることではない。

複数の年代の地図を比較することにある。

たとえば同じ地域について、

嘉永年間の地図
↓
安政年間の地図
↓
文久年間の地図
↓
明治初期の地図

と並べてみる。

すると、

「屋敷が変わっている」

「道が変わっている」

「町名が変化している」

「新しい施設が登場している」

といった変化が見えてくる。

実際、尾張屋版は増補・改訂を重ねているため、江戸から明治にかけての都市の変化を読み取る手掛かりにもなる。

(慶應義塾大学附属図書館)


9.幕末、江戸の地図が変わる

そして幕末。

江戸を取り巻く環境そのものが大きく変化していく。

嘉永6年(1853)にはペリーが来航。

その後、日本は開国へ向かい、幕府の政治体制も大きく揺らいでいく。

そんな時代に刊行された江戸切絵図には、

「変わりゆく江戸」

が記録されている。

地図は静止したものに見える。

しかし実際には、

町も、人も、政治も変わっている。

だから年代の違う地図を比較すると、

江戸という都市が動いていたこと

が分かるのである。


10.江戸から東京へ

そして、

慶応4年(1868)

江戸は東京へと変わる。

時代は明治へ。

しかし、地図の世界は突然ゼロから始まったわけではない。

江戸時代から蓄積されてきた地図情報は、東京という新しい都市を理解するうえでも重要な資料となった。

尾張屋の切絵図についても、明治初期には「東京版」へと展開していく。

(コトバンク)

つまり、

江戸切絵図の歴史は、江戸だけの歴史ではない。

それは、

江戸が東京へ変わっていく歴史

でもあるのだ。


11.「地図」から「歴史資料」へ

現在、私たちはGoogleマップなどを使えば、ほぼ一瞬で東京の街を見ることができる。

しかし江戸切絵図には、現代のデジタル地図とは違う魅力がある。

そこには、

「誰の屋敷だったのか」

「どこに寺があったのか」

「どこが町人地だったのか」

「どこに街道が通っていたのか」

といった、

江戸という社会そのもの

が描かれている。

しかも、手で描かれ、木版で刷られ、色が付けられている。

地図でありながら、

一枚の絵のような美しさも持っている。


12.江戸切絵図の変遷を簡単に整理すると

江戸切絵図の歴史を大きく整理すると、次のようになる。

【江戸初期~中期】

江戸の都市化が進み、さまざまな江戸図が作られる。

↓

【宝暦5年(1755)】

吉文字屋版の切絵図が刊行される。

↓

【江戸後期】

近吾堂(近江屋)など、複数の版元による切絵図が登場。

↓

【嘉永2年(1849)】

尾張屋清七による切絵図の刊行が始まる。

↓

【安政~文久年間】

尾張屋版が次々と刊行・改訂され、江戸各地を詳しく記録。

↓

【慶応4年(1868)】

江戸が東京へ。

↓

【明治初期】

尾張屋の切絵図も東京の地図へと展開していく。

(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))


おわりに――江戸切絵図は「タイムマシン」

江戸切絵図を広げる。

すると、そこには現在の東京とはまったく違う街が現れる。

江戸城を中心に広がる大名屋敷。

その隙間に広がる町人地。

寺社。

堀。

橋。

街道。

そして、そこを歩いていた江戸の人々。

さらに年代の違う切絵図を並べてみれば、

「この街は、どう変わったのか」

という時間の流れまで見えてくる。

だから江戸切絵図は、

単なる昔の地図ではない。

それは、

江戸の街を記録した“タイムマシン”

なのだ。

そして現在の東京を歩くとき、

一枚の江戸切絵図を手にしてみる。

すると、いつもの街角が、

「江戸の記憶が残る場所」

に見えてくるかもしれない。


参考資料・出典

・国立国会図書館「江戸切絵図」
嘉永2年(1849)~文久2年(1862)の尾張屋板を中心とする江戸切絵図を収録。(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))

・公益財団法人特別区協議会「所蔵資料蔵出し『尾張屋板『江戸切絵図』』」
尾張屋版の刊行経緯や、江戸市街・大名屋敷・寺社・町家などの記載について解説。(東京23区公式サイト)

・慶應義塾大学メディアセンター「江戸切絵図 芝三田二本榎高輪辺絵図」
安政2年(1855)の実物資料について解説。尾張屋版全31図などについても紹介。(慶應義塾大学附属図書館)

・実践女子大学「お宝紹介 当館所蔵の尾張屋版『江戸切絵図』」
尾張屋版の携帯性、彩色、31舗の構成などについて解説。(実践女子大学)

・『日本歴史地名大系』「尾張屋版切絵図」
尾張屋版の刊行・改訂、彩色、大名紋などについて解説。(コトバンク)

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