なぜポルトガル人は日本に来たのか?――鉄砲伝来の裏側
1543年。
日本の歴史を変える出来事が起きました。
種子島に一隻の外国船が漂着したのです。
乗っていたのは――
ポルトガル人。
そして彼らが持ち込んだのが、
「鉄砲」
でした。

この出会いは後に戦国時代の戦い方を大きく変えます。
しかし、
そもそもなぜポルトガル人は日本に来たのでしょうか?
実はその裏には、
世界を巻き込む壮大な物語がありました。
すべての始まりは「香辛料」
当時のヨーロッパ人が熱狂していたもの。
それが香辛料でした。
コショウ。
シナモン。
クローブ。
ナツメグ。
今では当たり前ですが、
当時は金に匹敵するほど高価でした。
ヨーロッパ各国は、
「アジアとの直接貿易で大儲けしたい」
と考えていました。
ポルトガルの大冒険
1498年。
バスコ・ダ・ガマが海路でインドへ到達。
これによってポルトガルは、
アジア貿易の主導権を握ります。
しかし彼らは満足しませんでした。
もっと東へ。
もっと利益を。
もっと珍しい商品を。
こうしてポルトガル商人たちは、
インドから東南アジアへ、
さらに中国方面へと進出していきます。
日本は「目的地」ではなかった
実は、
ポルトガル人は最初から日本を目指していたわけではありません。
1543年。
彼らは中国との貿易航海中でした。
ところが嵐に遭遇。
船は進路を失います。
そして漂着した先が、
種子島だったのです。
歴史を変えた出会いは、
計画ではなく偶然でした。
日本人が驚いたもの
種子島の人々は、
見慣れない外国人に驚きました。
しかし、
さらに衝撃だったのが彼らの武器です。
火薬の爆発音。
遠距離から敵を倒す力。
それまでの弓とはまったく違う兵器。
鉄砲でした。
当時の日本人にとって、
まさに未来の武器だったのです。
コピー能力が異常だった日本
ここからが面白いところです。
普通なら、
「すごい武器だな」
で終わります。
しかし日本人は違いました。
種子島の領主
種子島時堯
は鉄砲を購入。
そして刀鍛冶たちに命じます。
「同じものを作れ」
無茶な命令でした。
ですが職人たちは研究を重ね、
ついに国産化に成功します。
日本の職人技術は、
当時から世界トップクラスだったのです。
戦国武将たちが飛びついた
鉄砲の噂は瞬く間に広がります。
大名たちは競うように購入。
やがて全国で量産されるようになりました。
特に鉄砲を重視したのが、
戦国の革命児
織田信長。
彼は大量運用によって、
従来の戦術を一変させます。
長篠の戦い
1575年。
長篠の戦い。
武田軍の騎馬隊に対し、
織田・徳川連合軍は大量の鉄砲を投入。
これにより、
「騎馬武者が主役」
だった時代は大きく変わります。
もし鉄砲が日本へ来なければ、
戦国史はまったく違うものになっていたかもしれません。
実はポルトガル人も驚いていた
面白いことに、
ポルトガル人自身も驚いていました。
他の国では鉄砲が広まるのに何十年もかかることがあります。
ところが日本では、
驚異的な速度で量産が始まりました。
後には世界有数の鉄砲保有国になります。
むしろ日本人の吸収力の方が衝撃だったのです。
世界史の連鎖
ここで歴史の流れを振り返ってみましょう。
1453年。
コンスタンティノープル陥落。
↓
大航海時代が始まる。
↓
ポルトガル人がアジアへ進出。
↓
嵐で種子島へ漂着。
↓
鉄砲伝来。
↓
戦国時代の戦い方が変わる。
つまり、
日本の戦国史を変えた鉄砲の背景には、
遠くヨーロッパと中東で起きた出来事があったのです。
歴史とは、
まるでドミノ倒しのように世界中がつながっている。
鉄砲伝来は、その代表的な例と言えるでしょう。


コメント