元は二枚葉の植物だった? 本多忠勝の立葵との意外な違い
戦国武将の家紋の中でも、
最も有名な家紋の一つが徳川家康の「三ツ葉葵」です。
時代劇や大河ドラマで一度は見たことがあるでしょう。

しかし、
ここで一つの疑問が浮かびます。
「三ツ葉葵」というのに、
モデルとなった植物は「フタバアオイ(二葉葵)」。
名前からして葉が二枚です。
ではなぜ家紋になると三枚になったのでしょうか?
今回は徳川家のシンボル「三ツ葉葵」の秘密と、
家康最強の家臣・本多忠勝の「立葵」との違いについて紹介します。
そもそも葵とは何の植物?
まず勘違いされやすいのですが、
徳川家の葵紋は、
一般に「葵」と呼ばれるタチアオイではありません。
モデルとなったのは、
山野に自生する小さな植物
「フタバアオイ」です。
フタバアオイは、
地面近くに二枚の葉を広げることから
「二葉葵」と呼ばれています。
京都の賀茂神社では神聖な植物として扱われ、
平安時代から貴族文化とも深く結び付いていました。
実は徳川家の葵紋のルーツも、
この賀茂神社の神紋にあると考えられています。
なぜ二葉葵が三ツ葉葵になったのか?
ここが最も面白いポイントです。
実際の植物は二枚葉なのに、
家紋は三枚葉です。
理由は大きく三つあると考えられています。
① デザインとして美しかった
家紋は遠くから見ても分かりやすくなければなりません。
二枚葉だと左右に広がるだけで、
少し単調になります。
ところが三枚配置にすると、
円形にまとまり、
非常にバランスが良くなります。
武具や旗印に描いても目立ち、
権威も感じられます。
つまり、
実物を忠実に描くより、
紋章としての完成度を優先したのです。
② 神聖な数字「三」
日本では古来、
三という数字は特別な意味を持ちます。
三種の神器。
三貴子。
三宝。
縁起の良い数字として扱われてきました。
そのため、
二枚より三枚の方が格式や神聖さを表現しやすかったとも考えられています。
③ 家紋は写実画ではない
そもそも家紋は植物図鑑ではありません。
家紋は「図案」です。
桜紋も、
菊紋も、
実物そっくりではありません。
特徴を抽出して美しくデフォルメするのが家紋の世界です。
フタバアオイも、
家紋になる過程で三枚葉へと進化したのです。
三ツ葉葵のデザインはどう変化した?
実は徳川家の葵紋も、
最初から現在の形だったわけではありません。
松平時代
家康がまだ松平元康だった頃、
葵紋にはさまざまなバリエーションが存在しました。
葉の角度も違えば、
茎の描き方も違います。
徳川将軍家時代
江戸幕府成立後、
家紋は権威の象徴となります。
そこで形が統一され、
現在よく知られる
「三葉が円形に配置された三ツ葉葵」
が完成します。
さらに、
将軍家専用のものと、
徳川一門用のものでは微妙にデザインが異なりました。
つまり葵紋は、
江戸時代を通じて国家の紋章のような存在になったのです。
本多忠勝の「立葵」と何が違う?
さて、
ここで登場するのが徳川四天王筆頭、
本多忠勝です。
忠勝の家紋も葵です。
しかし徳川家の三ツ葉葵とは大きく異なります。
本多家の立葵
本多家の紋は
「立葵」。
これはタチアオイの花をモチーフにした紋です。
特徴は、
一本の茎が真っすぐ上へ伸びていること。
非常に力強く、
武士らしい印象を与えます。
徳川家の三ツ葉葵
一方、
徳川家の三ツ葉葵は
葉を円形に配置した紋です。
神聖さや格式を感じさせるデザインになっています。
簡単に比較すると
| 徳川家 | 本多家 |
|---|---|
| 三ツ葉葵 | 立葵 |
| フタバアオイがルーツ | タチアオイがルーツ |
| 円形で格式重視 | 縦方向で力強い |
| 将軍家の象徴 | 武門本多家の象徴 |
同じ「葵」でも、
実は全く別の植物とデザイン思想から生まれているのです。
家康が葵紋を選んだ意味
徳川家康は単なる戦国大名ではありません。
天下人となり、
260年以上続く江戸幕府の基礎を築きました。
その家紋である三ツ葉葵も、
単なる植物の絵ではありません。
京都の神聖な伝統。
武家の権威。
そして天下人としての威厳。
それらを一つの図案に凝縮したシンボルでした。
だからこそ、
現代の日本人が見ても、
三ツ葉葵には特別な存在感を感じるのかもしれません。
実物は小さな二枚葉の植物。
しかし家紋となった時、
それは天下を治める将軍家の象徴へと変貌したのです。


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