16歳の領主は、なぜ2000両を払ったのか? 鉄砲伝来と『鉄炮記』の裏側

Uncategorized

もしあなたが16歳で、目の前に見たこともない武器が現れたら、現代のお金で約1億円(数億円説とも)を払えるでしょうか。

これは作り話ではありません。日本に鉄砲が伝わった場面で、種子島の若き領主が実際に下したと伝わる決断です。

1543年、種子島に異国船が流れ着く

舞台は天文12年(1543年)。種子島の門倉岬に、中国船が漂着します。乗っていたのはポルトガル人たちでした。伝来の日付まで記録が残っていて、天文12年8月25日、西暦では1543年9月23日とされています。

この島を治めていたのが、種子島氏14代当主・種子島時堯(ときたか)、なんと16歳です。

ポルトガル人の名も記録されています。「佗孟太(アントニオ・ダ・モッタ)」と「牟良叔舎(フランシスコ・ゼイモト)」です。

「よくわからないけど、すごい」で終わらなかった若殿

時堯は、南蛮商人が持っていた鉄砲を2丁購入します。伝わる代価は約2000両、現在の感覚で約1億円です。この額から、彼がどれだけ本気だったかがうかがえます。

ただ、本当に注目すべきは「買った後」です。

  • 1丁は、国産化の手本にする
  • もう1丁は、他人の手に渡る

この「もう1丁」の行き先が、実は史料によって違います。

謎:もう1丁は、どこへ行ったのか?

『鉄炮記』の記述 紀伊・根來寺から来ていた杉の坊に譲った、とされています。根來寺は、のちに鉄砲を扱う集団として名を上げる寺院です。

別の伝承 もう1丁は、種子島氏の主君である島津氏に贈られた、という説があります。『國友鉄砲記』によれば、島津氏はこれを将軍・足利義晴に献上しました。将軍は鉄砲鍛冶を探し、近江の国友(現在の滋賀県長浜市)の鍛冶に見本の銃を渡して製作を命じたといいます。

なお『國友鉄砲記』は贈り先を「島津義久」としますが、当時の薩摩の当主は父の貴久のはずです。ここは記録の食い違いか誤記かもしれません。

どちらが正しいのか、断定はできません。ただ、どちらの話も残っていること自体が、この時代の記録を読む面白さです。鉄砲は種子島から堺へ伝わっただけでなく、根來寺、さらに薩摩から将軍家を経て国友へと、複数のルートで広がった可能性があります。たった2丁が、日本中に散らばっていったのです。

国産第一号を作った男と、娘の伝説

国産化を担ったのは、美濃国関(現・岐阜県関市)出身で種子島に移り住んでいた刀鍛冶、八板金兵衛です。伝来のわずか2年後、天文14年(1545年)に国産の火縄銃第一号を完成させたとされます。その現物と伝わる銃は、西之表市の「種子島開発総合センター 鉄砲館」に常設展示されています。

『鉄炮記』には、有名な逸話も載っています。

銃身の底を塞ぐネジ(尾栓)の作り方がどうしてもわからない。そこで金兵衛は、その技術を学ぶために娘・若狭を南蛮人に嫁がせたというのです。

刀鍛冶の執念と、技術習得の苦労を象徴する話として、長く語り継がれてきました。ただし、後世に付け加えられた伝説的要素が強いという見方もあります。感動的な話ほど、少し疑ってみる価値があります。

そして「種子島」は全国へ

国産化に成功すると、堺から橘屋又三郎という商人がやって来ます。彼は2年間島に居続け、鉄砲の作り方から火薬の製法、射撃の方法まで学んで堺に戻ったそうです。

技術は種子島から堺へ、そして全国へと広がり、火縄銃は最初の製造地の名をとって**「種子島」**と呼ばれるようになりました。一つの島の名前が、武器の代名詞になったのです。

ここからが「裏側」。『鉄炮記』はいつ書かれたのか

ここまで読んで、「時堯、かっこよすぎでは?」と思った方は鋭いです。

この物語を伝える『鉄炮記』が編纂されたのは、伝来から**60年以上後の慶長11年(1606年)**です。

  • 1543年:鉄砲伝来
  • 1606年:『鉄炮記』成立

著者は薩摩の禅僧・南浦文之(なんぽ ぶんし)。依頼主は種子島氏16代当主・種子島久時です。つまり、事件の当事者ではない人物が、種子島家の依頼を受けて、種子島家の先祖の活躍を書いたわけです。

そこには「うちの先祖はこんなにすごかった」という顕彰の意図があった可能性が高く、この書は「種子島氏が語りたかった自家の歴史」というフィルターを通して読む必要があります。

そう考えると、先ほどの「もう1丁の行き先」の食い違いも意味深です。種子島氏の側から見れば、主君・島津家への献上より、自家の国産化の功績を前面に出したかったのかもしれません。もちろんこれは推測ですが、記録の「書かれ方」を考える手がかりになります。

それでも、この史料は宝物

とはいえ、『鉄炮記』の価値は少しも揺らぎません。鉄砲伝来という日本史の大転換点について、ここまで具体的な記録が残っていること自体が奇跡的です。現存最古で最も基本的な史料として、その後の戦国時代の戦術革命、ひいては天下統一への流れを考える出発点になっています。

ここが歴史の面白いところです。

  • 記録は真実そのものではなく、誰かが語り残したものである
  • 別の記録と照らし合わせると、食い違いが見えてくる
  • しかしその語りの中に、時代の空気や人々の誇りが確かに刻まれている

まとめ

16歳の若き領主が、見たこともない武器に大金を投じ、買うだけで終わらず「日本で作れ」と挑んだ。2丁の鉄砲は、一方は研究の手本に、もう一方は根來寺か、あるいは島津家から将軍家へと渡り、日本中に広がる種になりました。この物語がすべて事実かどうかは別として、未知のものに出会ったときに**「怖い」より先に「可能性」を見た**という姿は、今の私たちにも刺さります。

みなさんなら、16歳で2000両を払えるでしょうか。

歴史の裏側を知ると、教科書の一行がぐっと面白くなります。次回もお楽しみに。

Amazon.co.jp: ザバス(SAVAS) ソイプロテイン100 ココア味 920g 明治 NEXTBODY【Amazon.co.jp限定】 : ドラッグストア
Amazon.co.jp: ザバス(SAVAS) ソイプロテイン100 ココア味 920g 明治 NEXTBODY【Amazon.co.jp限定】 : ドラッグストア

コメント

タイトルとURLをコピーしました